Francis Carols
フランス宮廷ブーケを継承する花の芸術家、フランシス・カロール氏。
その技術とエレガンスを伝える学校を日本に開校したい想い、生け花から多くのことを学んだ恩返しに、と語るカロール氏と共に22年間、両国文化の懸け橋としてなるべく努力して参りました。
日常を豊かにするため感性を養うフランス流の花修業が、2016年4月に伊勢丹新宿店本店のご支援により、新宿伊勢丹フランス宮廷ブーケアカデミーが日本に芽吹き、2017年伊勢丹新宿本店「フランス展」7Fバンケットルームにおきまして、「至福のエレガンス フランシス・カロール展」を開催し、今は亡き師との念願であったジョイントを果たすことが出来ました。
全国から多くの皆様にご来場を賜り、またお祝いのメッセージを頂き、心より感謝を申し上げます。
私の人生を豊かに導いてくださった偉大なる師匠 フランシス・カロール氏をご紹介させていただきます。
「私は日本の生け花から多くのことを学び、独自のブーケのスタイルを創り上げました。
日本の皆様にお教えする決意は、そのお返しをしたいというお礼の心から発しています。
私の感性を伝授することで、たくさんのお返しが出来ることと確信しています。
私は花に携わる仕事に従事したおかげで、世界各国の素敵な人々と出逢い、友情を深めることができました。
花を愛でる心は、各国共通であります。この学校を機軸に花の芸術家の育成に努め、日本とフランスの交流を深めたいと考えております。」と述べた。
カロール氏の花芸術は、グレース公妃を筆頭に、かの大富豪の令嬢クリスティナ・オナシス、歌手のジョセフィン・ベーカーやフランク・シナトラ…と、美を追求する幾多の人に賞賛され今日に至っている。
その活動は、記念式典や花のカーニバルの演出、空間創造、花芸術家の育成と多岐に渡る。
しかしながら、成功への道程は遠かった。
氏の芸術性は、幼少時代に芽生えたと言える。生まれたアルジェリアで8歳からクラシックバレエを学び、天才少年の名をほしいままにした。
18歳でParisのマルキード・バレエ団に入団。22歳に不慮の怪我に見舞われ断念。
花と出会うまで5年の歳月を費やした。とはいえ、クリスチャン・ディオール社に入社し、ディオールの後継者となったマルク・ボアンや天才デザイナー、イブ・サンローランと共に、パリ・モードが輝いた50年代のファッションに関わったのだから幸運である。
その後、自己表現の欲求から彫刻家を目指すが、またもや挫折。
「すべてが役に立っている…」感慨深げに呟く。
フランスの宮廷ブーケは、室内装飾家、マダム・デュデュボンに学ぶ。
彼女の仕事は、パリの上流階級邸宅の花装飾が多かった。
カロール氏が任された最初の仕事は、エリザベス女王の兄君に当たるエドワード8世とシンプソン夫人のパリ私邸(ウインザー公邸)玄関のコンソールの装飾。
金彩を施した白鳥の紋章に合わせ、白いアイリスを中心に清らかな華麗さを表現した。
夫人はもとより、師であるマダム・デュデュボンまでが、環境と花のバランスの見事さを絶賛した。
30歳に手が届こうとする、かなり遅いスタートであった。
自分探しの旅が終り、花芸術に身を投じてからの氏は稀有な才能を次々に発揮した。
小さなブーケが流行であれば、6メートルもあるジャイアントフラワーを創作し、生花しかない時代にペーパーフラワーを創る、というように…
やがて、氏が開発したペーパーフラワーが、大ブームを引き起こした。
エル誌の人気ページ、“ボン・マジック”に掲載されたのである。
上流階級の子女が18歳になると開催する習慣の“ラリーパーティー”は、紙の花で飾るのが大流行。超売れっ子になった氏は、企業設立を余儀なくされた。が、無欲恬淡である氏は、間もなく企業を閉鎖。さらなる芸術的飛躍を求めてモナコへ逃避行したのである。
氏は最も尊敬する貴族として、映画女優出身の今は亡きグレース公妃の名を揚げる。
公妃との出逢いは1973年。28年に渡るパリ生活に終止符を打ち、モナコのモンテカルロに居を移した時であった。
氏は世界の王侯貴族や富豪の社交場として知られる“ナイトクラブ・レジィーヌ”の舞台装飾を手掛けていた。花で満ちたソフィスティケートされた舞台は、社交界の評判となった。
翌73年には“モナコ公国カロライン王女バースデー第1回チャリティー舞踏会”の演出を依頼される栄誉を得た。
王女が17歳を迎え、公の場に初めて出席する重要なパーティーである。会場はグラン・カジノ。氏はデコラティブな館を、ピンクの美しい布ですっぽり覆う英断を下した。
そこに同色で作った1万8千個のペーパーフラワーを飾ったのである。
公妃はダイナミックな発想と、モードを取り入れた時代性のあるセンスを高く評価。
モナコ公国の重要な行事の演出のすべてを、氏の感性に委ねたのである。
「グレース公妃は堂々としていて美しかった。凛とした気品に、エレガントな優しさを兼ね備えていた。ヨーロッパの王侯貴族がそうであるように、芸術家やエンターテイナーを育成するという崇高な血が、グレース公妃の心に流れていた…」
グレース公妃の精神は、カロール氏の教育信念に投影され、受け継がれている。
カロール氏は、10年間を過ごした1970年代のモナコをこう表現する。
「グレース公妃のいるモナコに光が差し、高級リゾート地コート・ダジュールに19世紀の華やぎが戻ったような感であった。
世界中の王侯貴族や富豪がコート・ダジュールに集い、待たれていた優雅なパーティーが毎夜開かれ、クレージーなほどに華やいでいた…」
マティス、ピカソ、ゴッホがそうであったように、氏も同様にモナコからパリへ戻ろうとせず、中世の街並みと風情が残る大都会、ニース市に居を構えた。
宴のあとの疲れた心を癒すかのように、ヨットハーバーを眼下に控える場所に現存する17世紀の館の最上階に住まう。
数分足らずのところにあるル・シャトーは、氏の散策エリア。
ここには10世紀の遺跡があり、深い森に覆われた森に雄壮な滝が流れ、小鳥のさえずりや葉音さえも聞くことができる幽玄の世界…
ここから見るニース市の眺望は見事な構図で、巨大な号数の名画のようだ。
青い空とどこまでも続く海岸線に、レンガ色の中世の街並みが連なり、後方の山並みが緑をそえる美しさ。色調は太陽の照らし加減でさまざまに変化する。
時間がゆったりと過ぎていく。ニースには、人間にとって最高に贅沢な“豊かな時間”が存在する。
1985年から、カロール氏はニース市に要請され、文化担当助役として行政に関与している。
この年に、花の学校「ガーデンクラブ・ドゥ・ニース」を創設。ニース市助役として芸術、祭典、スポーツ委員会委員長および専属装飾家をつとめる。
毎年3月に行なわれるニースのカーニヴァルの魅力のひとつマヌカンの衣装すべてを創作するアトリエ。8月の花合戦…
国際フラワーコンクール会長就任。王侯貴族や富豪に支持され花開いた偉大な芸術を、多くの市民に還元する…そんなフランス特有の社会構造が見えてくる。
1995年7月のニース市は、街中がエキサイトしていた。
長年、市長の座を譲らなかった前市長が、夏の総選挙に敗北し、ひさかたぶりに新市長が誕生したのである。
教会の記念式典に招待され出席した新市長夫妻に贈る市民の拍手は、熱気にあふれていた。
この賑々しさのなかで、カロール氏はニース市の発展と市民のために、文化面において貢献するという姿勢に変わりなく、淡々としていた。
この年にフランス政府より「ローズ・ドール」勲章受賞。
カロール氏が創設した花の学校“ガーデン・ドゥ・ニース”は、植物公園“フェニックス・パルク”の一角にあった。ニース市最大のこの公園は、市民の憩いの場と植物研究を目的に氏がプロデュースした、近代ニース市のひとつである。
ニース校70名の生徒のほとんどが主婦。豊かな日常生活のためにお花を習うという発想である。生花に関する一般人の思いに、文化度の厚さを感じる。
氏による花教育は、基本技術とともにバランス構築を重要視しての指導だ。
空間におけるサイズ、形、色調バランスである。何に関しても調和は基本である、と力説する。バランス感覚は自然から学ぶことが多い、と静かに語る。
氏が創作するフランス宮廷ブーケには、名画のようなニュアンスが漂う。
何十種類もの花を、絵を描くように挿していく。陰と陽の色合いの妙技である。
その手法で創作するブーケは、個の花々が光と翳を醸し出し、一体の華麗な総合美を発揮する…
この技術による創作表現は、なにびとも冒すことのできない芸術性であり、氏独自の世界なのである。
明るい性格の氏は、どんな大作に取り組む場合も鼻歌まじりに楽しそうに仕事をすすめる。
花や草木を優しく手に取り、眺め、愛しみ、それぞれと会話をしながらベースに挿し込んでいくのだ。
創り上げたあとに氏は「ノー……」とつぶやき、落胆した表情を見せる。
芸術家は大変欲張り者だ。自分の作品にけっして満足しないのだから……
ヴェルサイユ宮殿が謳歌した時代に確立されたフランス宮廷ブーケは、各時代の装飾様式とともに変様し発展してきた。
その伝統ある花芸術の担い手である氏は、国籍を問わず指導育成に努めてきた。
どこの国の誰でも良い、才能ある生徒を後継者として育成し、自分がこの世に
存在した証としたいとの思いを強く語っていた。
2016年に天へと召された師匠カロール氏から22年の間、伝承された多くの教えや理念は、
これからも私の胸に生き続け、
日本人継承者として使命を持ち、益々の精進を重ね私流のフランス宮廷ブーケをこれからも国内外の花を愛する人達へ伝承に勤めて参ります。
Carols Japon 片山真美子
フランシス・カロール氏 業績歴
フランスの花の学校 ガーデンクラブ・ドゥ・ニースの創設者であり、フランス宮廷ブーケを継承し、グレース・ケリー公妃や、シラク大統領夫人を筆頭に美を追及するフランスの社交界のセレブリティ達に支持されている「花」における第一人者です
| 年代 | 内容 |
| 1960〜1965 | プレステージ性のある装飾家として活躍 |
| 1966 | ジャイアント・フラワーの創作(世界初6m巨大花オブジェ) |
| 1966〜1972 | 「花合戦」(バティユ・ドゥ・フルー)装飾(於 サンウアン) |
| 1973 | モナコ大公国に於ける装飾 モナコ大公国キャロライン王女 第1回チャリティー舞踏会演出 モナコ赤十字ダンスパーティー演出 |
| 1974 | 赤十字第1回ダンスパーティー装飾(於 エトワールホール) ジョセフィン・ベーカー舞踏会演出 (於 モンテ・カルロスポーツクラブ) |
| 1975〜1980 | 薔薇の舞踏会、赤十字ダンスパーティー(於 モンテ・カルロ) アルブラ(貴族)ダンスパーティー(於 ストラスブルグ) ジャイアントドールの創作(6mの巨大人形) |
| 1978 | コンコルド第1回飛行演出(於 パリ) |
| 1985 | ガーデンクラブ・ドゥ・ニース創設 ブーケ国際コンクール主宰 グレース王妃 オマージュ式典演出(於 ニース) ジョセフィン・ベーカー オマージュ式典演出(於 ニース) |
| 1988 | コート・ダ・ジュール 百年祭演出(於 ニース マセナ美術館) ビクトリア女王 オマージュ式典演出 ジャック・シラク婦人 夕べの会装飾(於 ニース城) クリスティナ・オナシイス婦人 夕べの会装飾 |
| 1989〜1990 | ニース「花合戦」装飾 マリア・カラス オマージュ式典演出(於 ニース マセナ美術館) コスチューム専門アトリエ(ニース市内) コスチュームとヘアスタイル製作 |
| 1991〜1995 | ニース市助役 芸術、祭典、スポーツ委員会委員長 及び 専属装飾家 国際フラワーコンクール 会長 |
| 1995 | フランス国より「ローズ・ドール」文化勲章 受章 |
フランシス・カロール氏 ポエム
ブーケの芸術、それは1つのポエムを書くのに似ています。
あちこちに群がるあらゆる花々はポエムの中の文字の一群のようです。
ブーケの芸術、それはとりわけ画家のキャンバスに対する姿勢のようであり
無限のトーンの総和がキャンバス上に創りだす色彩は地上から発色します。
ブーケの芸術、それは多くのルール、そしてまた微妙なバランスの上になりたちます。
これを題材として我々の創造的潜在能力が活動を始めます。
すなわちもうひとつの別の人生が現れ、更にひとつの思いがけないエレガンスが生まれるかもしれないのです。
私は自分のキャリアを積んでいく過程で、自然の中、その豊麗上に入り込んで、そこでフォルムをもつ言葉でない言葉を汲み取りその言葉をもって今自分を表現していきます。
フランスと日本両国のフローラル文化の美学の融合を願っております。
フランシス・カロール

